
今回の舞台は 横浜にぎわい座です。来やすい場所なんですが 不思議と来ないもんですよ 桜木町。
APECが始まる直前というので 警官の方が結構沢山出張ってました。

桂枝太郎さんの会に 松尾貴史さんが出てるというので聴きに行ってきました。
ちなみに枝太郎さんは 歌丸さんのお弟子さんです。
以前来たのは 雀三郎さんとまんぷくブラザーズのコンサートのときだったのですが その時こじんまりしていても 新しくて席もすわり心地が良くて 飛行機や新幹線のトレイみたいなのが倒せるのがいいな なんて思ってたんですが 今回は小ホールだったので 背もたれすらないクッションだけの座席でしたー!!一緒に来た彼はこれで一週間ほど腰を痛くしました。すんません。
本編が始まる前に 上でやっているというお笑いのショーからナイツというコンビが応援に来てくれてました。
枝太郎さん 上に行かずにこちらに集まってくださって 本当にありがとうございます!とお客さんにお礼を言いつつも 「間違ってきてませんよね?」と念押し。
<開口一番(鏡味味千代:太神楽)>女性の曲芸師の方です。前座真っ最中ということで 基本的な芸だったのかもしれませんが ちょっとした失敗もなんのその 笑顔でみごとに乗り切りました。あごに細い棒を乗っけて その上に板を さらにその上にお茶碗を さらにさらにその上に板を重ねて…なんて芸で 座を明るくしてくれてました。あごが長くならないといいんだけど。
<枝太郎:茶の湯>茶の湯の筋書きは あさ吉兄さんの時も書いたので割愛しますが 枝太郎さんは正直まだちょっと物足りないなという感じがしました。まくらは自然なんですが 落語に入ると急に声のトーンが低く ぼそぼそ?となってしまうのです。これから落語話しますよって感じで意識させられるとちょっと…。
それでも 個人的にいろいろな工夫をしていて「おっ」と思うところはありました。
御隠居が自分で立てたお茶を飲んで ひっくり返るところなど 本当に座布団から転げ落ちていたり 客人がお茶を飲まされて苦しむ表情が一つ一つ違っていたり。
相方は「ちょっとネタが下品かな」とも言っていたけど…ここは好き好きかと。
<松尾貴史:はてなの茶碗>ちゃんとした師匠に習ったわけでもないのに なぜか落語のできるキッチュさん。
正直 枝太郎さんの茶の湯より楽しませてもらいました。(枝太郎さんごめんなさい。)
もちろん本職の落語家ではないので まくらではあれだけ豊富な話題で笑わせていたのに 本編に入ると間の取り方が甘く たたたたたーっと通しで喋ってしまう辺り 急ぎ気味かも という感じはあったのですが お得意のものまねでそういったハンディを埋め エンターテインメントとしてちゃんと成立させてありました。
特に印象に残っているのは 茶金さんのところに持ち込まれた安茶碗のいきさつを聞いた天子様を演じるところ。今の天皇陛下のものまねで「朕も 是非 その 茶碗を 拝見したいと 思います」と一語一語区切って ゆっくり喋るのが可笑しくて可笑しくて。良かったなあ?。
まくらは…ええと 逆にネタが膨大すぎて…。
自分と落語の関わりを なれそめからずうっと物まねを交えて語ってました。入門をしてみようとトライまでした枝雀師匠はじめ 米朝師匠 春團治師匠 三枝師匠 先代三平師匠 横山やすしさんなどなど物まねづくし。
まくらのほうが本編より長かった!
<中入り>
<トーク:桂枝太郎&松尾貴史>枝太郎さんが松尾さんに対して 「どうして年に数回しか喋らないのに そんなに落語がお上手なんですか?」と質問したり 「ぼくはどうしたらいいんでしょうか?」と終始 自信なさそうに喋っていたような印象が…。「とりあえず(時間の遅れを取り戻すために)落語に進むのがいいと思いますよ」と松尾さん。
<枝太郎:純情日記横浜編(柳家喬太郎作)>横浜を舞台にした恋物語。初めてのデートで女の子を連れて横浜を案内することになったもてない青年の物語。
新作落語では 枝太郎さん ぼそぼそ声にならず自然に喋っていたので 安心して聴くことができました。可笑しかったのは この主人公の青年が横浜に住んでいるのだけど よく知らないし 車も持ってないので とにかく歩くしかない。おきまりの観光コース 関内駅からベイスターズのドームを横目に歩いて 官庁街に出て 産業貿易センターを通り 山下公園に出る。そこから氷川丸を見て 中華街で夕食を済ませた後 石川町のほうへ出て 外人墓地を見て 港の見える丘公園へ…順序は多少逆だったりするかもしれませんが こんな感じで あまりにも典型的なコース選びをずらずらずら?っと並べられると思わずにやっとしてしまいます。
特にパスポート申請のために産業貿易センターには何度も足を運んだからなあ…。
後から 柳家喬太郎さんの作品だったと分かって なるほどなと思いました。この方 確かデートをベースにした噺で東京ツアーのも書いてたもんね。
しかし ラストシーンにドラマっぽい音楽を入れるのは落語としては反則ではないか とか 考えるのは狭量すぎます?上方落語に入るはめものと考えたら同じ?でも 今の音楽は映画的に情景を盛り上げる効果が強すぎるので演者の力量に上乗せされすぎるんじゃないのかな…。うーむ…。
なんというか この日は松尾さん目当てで さらに知らない落語家さんを発掘できたらと思っていったわけですが 枝太郎さんはもう一息という感じ。本人も「枝太郎を育ててやってください」と最後にお客さんにお願いしてましたが……
頑張れ!