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死について
2018-06-14 Thu 16:37
その訃報を聞いたのは雪の降る春分の日、3月21日。3月20日に絵描きの友人が亡くなったとツイッターのDMで知った。享年43歳。がん。私と同い年だ。若い。病気のことはちょっとは聞いていて、2月17日に会いに行って、経過が良いと聞いていたので、なおさら「まさか」という気分だった。

お葬式にも出席した。友人代表の弔辞も彼女の人となりを端的に表していて良かったし、有名なゲーム制作にかかわっていた時の上司の方も弔辞を読まれていて、彼女がコアメンバーだったことを知り、あらためて彼女が凄い人なのだと認識した。友人が前日から手伝って作ったという彼女の作品コーナーも良かった。

出棺の時に見た彼女の顔は、しかし、生きているときの面影はあまりなく、よそよそしい感じだった。予想していなかったのは、斎場に行ってお骨まで拾ったことだ。本当なら式が終わった後帰っても良かったのだが、残ってご家族の方とお食事をすることとなり、火葬も付き合わねばならなかったのだ。お葬式で何が苦手と言って、この骨上げの瞬間が一番嫌だ。彼女が「ひと」から「モノ」へと変わってしまった。彼女が奪われてしまった気がした。

昨年夏にステージ4のがんだと分かったそうで、抗がん剤で治療していたのだが、結構進行が早かったらしい。最後に入院した時は、がんがかなり悪くなっていたらしく、家で最後の時を迎えることにしたとか。ステージ4だと言うなら、彼女も覚悟はしていたのだろうと思う。それでも自分の状態を詳細に述べるのは避け、友人にもただ「遊びに来てほしい」とだけ言っていた彼女は強い人だったのだと思う。まだやりたいことも沢山あっただろうに。

お葬式が終わっても、彼女のことをことあるごとに思いだし、「もういないんだな」と寂しくなった。でも、彼女が遠くに住んでいたこともあって、また上京しにくるような、そんな気分にもなる。だが、やはり彼女はもう来ないのだ。

先日開かれた、彼女を偲ぶ会では、彼女の作品をみんなで持ち寄った。思い切りの良い線と独特の色使い、不思議なテーマ。そこには、挑戦的な目線やエロティシズムも感じられる。本当に「自由」な作品。もう彼女の作品も増えることはないのだね、と話をした。そして、みんな一度は彼女に怒られたことがあったということが分かり、笑った。彼女を思い出せる限り、彼女はまだ生きている。

自分たちの年代だと、まだまだ「死」というものは先に感じていた。でも、彼女の死はそれを真っ向から覆した。「死」は身近にあるものなのだ、と思った。上手くは言えないが、彼女の死を通して何かできることがあるとしたら、一日一日を大切に生きていく、月並みだけどそれしかないのではないかな。

そんなことを考えていたところへ、またしても4月3日に知人の訃報が伝わってきたり、4月5日にジブリの高畑勲監督が亡くなったというニュースが流れた。友人、知人、遠い存在ではあるが尊敬していた人、と死が重なってまいった。

知人の死もこれは突然だった。48歳で死因は急性心不全。夜に亡くなったらしく、奥さんによると、朝なかなか起きてこないので疲れているのかなと思ったそうだ。この死も、また若く、そして唐突だ。やはりここからも「死」を身近に感じた。

高畑監督の死は、一つの時代が終わりつつあるような気がしてつらかった。ジブリ関係の方で言えば、数年前に色彩設計の保田道世さん、原画の二木真希子さんらも亡くなっていて、長年宮崎監督や高畑監督と関わりのあった人たちが少しずついなくなっていってさびしい気がしていたが、「とうとう来たか」という気持ちになった。

「じゃりン子チエ」と「ホーホケキョ となりの山田くん」が好きで、「チエ」の大阪の下町の様子が、自分は知らないけれども、さもありなんという説得力を持って描かれているのが印象的だった。「山田くん」は少ない描線でさらっと描いたように、省略したように見える絵(実際は輪郭を描く線と塗の境界線を別々に描いていたそうで作業量は膨らんだそうだ)なのに、動きからはリアルさが感じられて驚いた。4コマ漫画的なオムニバス形式や、話の区切りに柳家小三治師匠の読まれる俳句が効いていて、また笑いどころも多く、ビデオに録画したものを何度も観た。ただ、観るときは一気に全部観るのではなく、ちょこっとずつぶつ切りにして観ていた。どこから観始めてもいい映画だった。(これが監督の臨んだ見方かどうかは別として…)

彼は「映画人九条の会」の一員で、憲法九条を守ることを主張してきた。今、特別秘密保護法案や共謀罪、安保法制、9条の改変(これはまだ起こってはいないが、時間の問題では)など、軍国主義の国に逆戻りするような動きが立て続けに起こっている。9条の改憲前に亡くなってしまったことは高畑監督にとって幸せだったのかどうか…。

宮崎駿監督と共にジブリの両輪のとして存在していた高畑監督。ジブリの灯を消さないように宮崎駿監督には長生きしてほしい。

下の絵は絵描きの友人を偲んで、彼女のタッチを思い浮かべながら描いてみた。塗り重ねとか色の選び方とか色々参考にはしたのだけど、彼女の世界からは離れてしまった感あり。
20180418_友人をしのんでS
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